2021-01-01から1年間の記事一覧
お城検索は→こちら aminosanhate111.hatenablog.com 前回の登城は→こちら前回は城址の南側からの遠景しか撮影できませんでしたので、改めて北側からの眺めとドローンによる海上からの全景を紹介したいと思います。城址(城山)南側県道からの眺め(2019年4月…
お城検索は→こちら aminosanhate111.hatenablog.com 広瀬城址平安初期(794~894)の頃より広瀬郷の山麓一帯は、医王山系の山岳密教修験者が多く訪れ、その拠点(宿坊)となったのが柿谷寺(廃寺・現舘地区神明社辺り)であったといわれる。鎌倉時代に入り、…
お城検索は→こちら aminosanhate111.hatenablog.com 富山城郭カードは→こちら桑山城跡桑山は旧福光町中心部から北西2.5Kmにそびえる山である。麓に近い西勝寺城よりも100m以上高い山であり、その特徴的な山容で南砺市内の平野部からも良く望むことができる…
お城検索は→こちら aminosanhate111.hatenablog.com 富山城郭カードは→こちら南砺市指定史跡土山御坊跡文明初年に真宗本願寺八世蓮如が、念仏の教えを大衆に広めるため、この地を訪れた際に土山御坊を建てて、次男の蓮乗を住職とした。御坊は、明応3年(1494…
お城検索は→こちら aminosanhate111.hatenablog.com 毎日楽しみにしている地元紙、北日本新聞連載の「とやまお城探検隊」→こちら11月10日の記事は「城端城①」だった。城跡そのものについての紹介では無く、「城端町」と「善徳寺」についての内容だったので気…
お城検索は→こちら aminosanhate111.hatenablog.com 前回の記事は→こちら国宝 犬山城令和三年(2021)11月15日愛知県犬山市今回は石垣に絞って観てきました。それと前回失念した、木曽川越しの段丘涯に建つ姿をリベンジ!【犬山城 城郭構造】国宝犬山城HPよ…
東海地方屈指の紅葉スポット【恵那峡】に行ってきました。 木曽川をせき止めて造られたダム湖で、天下の名勝として知られた峡谷です。 大井ダムの辺りには、「かんぽの宿」「シアター恵那」「恵那峡グランドホテル」「恵那峡国際ホテル」などのリゾートホテ…
富山県の人気紅葉スポット 【庄川峡】に行ってきました。 庄川をせき止めて造られた庄川町の小牧ダムから、利賀村の大牧発電所に至るダム湖周辺は今が紅葉の見ごろ。 国道156号線沿いの「庄川遊覧船のりば」は、庄川峡クルージング目的の観光客で大賑わい。…
新型コロナの影響で民宿へ行く機会が全くなくなった。 忘年会・新年会、歓送迎会、自治会の総会、慰安会、披露宴、法事にと、氷見に住むものとして年に数回は民宿での行事があった。 泊まって、飲んで、食べて、風呂に入って、景色が良くて、安くて、本当に…
お城に興味があるとそれに関連した記事や写真に目が行くわけですが、今回は11月6日付け北日本新聞の朝刊に載っていたこの写真に反応し、居ても立っても居られない思いで現地を訪ねました。 先ず写真ですが、パッと見、これは城郭建築か?しかも、望楼型の天…
お城検索は→こちら aminosanhate111.hatenablog.com 江戸時代の記録に「南北朝(14世紀)のころ、越中国守護であった桃井直常の家臣、田中権左衛門貞行と言う人がいたと伝えている。」とあり、県内でも数少ない南北朝期の姿を留めた館跡とされてきた。 昭和6…
お城検索は→こちら aminosanhate111.hatenablog.com 寿永2年(1182)砺波山の合戦で、木曽義仲軍に加わり、平家の大軍と戦い活躍した石黒太郎光弘が、この地に城を築き、以来およそ300年間石黒党は栄えた。一族の福光五郎、彦二郎らもここに住み、その城域は…
2021年3月31日から毎日20時と21時に開催されている、丸岡城プロジェクションマッピング「ひかり結び」に行ってきました。 丸岡城を舞台にした、北陸では初となる常設のプロジェクションマッピングです。 プロジェクションマッピングなど空間演出を手掛ける …
お城検索は→こちら aminosanhate111.hatenablog.com 高山城の記事は→こちら高山観光マップ→こちら東山遊歩道沿いの寺院群移築門や移築建物が現存する寺院はこの地区に集中しているので、うまく見て回ることができました。◆県指定文化財法華寺・本堂寛永9年(…
お城検索は→こちら aminosanhate111.hatenablog.com 標高686.6m、通称城山、別名を臥牛山、巴山とも言う。金森入国以前は「天神山城」と呼ばれていた。飛騨の守護代である多賀出雲守徳言によって、文安年中に築城され、近江の多賀天神を祀ったことから多賀…
お城検索は→こちら aminosanhate111.hatenablog.com 応永年間、三木正頼は南飛竹原郷をおそって益田郡を横領し、数世の後自綱にいたって高山盆地に侵入した。 天正7年(1579)松倉城は、この自綱によって築かれてものである。 天正10年(1582)八日町の一戦…
お城検索は→こちら aminosanhate111.hatenablog.com 戦国時代初期の永正年中(1504~1520)上杉顕定が砺波地方を略し、弟の九郎房義の将、小林壱岐守がこの地に城(砦)を築き山田郷をおさめていた。現在ある土塀は当時のものと伝えれ本丸跡を示すものである…
お城検索は→こちら aminosanhate111.hatenablog.com 富山城郭カードは→こちら上見城は、天正年間(1573~1591)に篠村太左衛門が居城していたとされる。近世に編まれた加賀藩士富田景周の『三州誌古墟考』に『南北四十間、東西十七間、西北東は深谷、南は山…
お城検索は→こちら aminosanhate111.hatenablog.com 2021年3月石川県にある「加賀朝日山城」の資料を検索していると、富山県氷見市にも「朝日山城」が存在していたことがわかりビックリしました(@_@)子供のころから親しんでいる「朝日山公園」がお城だったな…
お城検索は→こちら aminosanhate111.hatenablog.com 加賀藩は文化3年(1806)1月の『ロシア船に備えよ』との幕命を受けて以降、着実に海防の準備を進め、佐渡沖に異国船出没が伝えられた嘉永年間には、海辺防衛を一層厳重なものにするために、越中国を含めた…
お城検索は→こちら aminosanhate111.hatenablog.com 加賀藩は文化3年(1806)1月の『ロシア船に備えよ』との幕命を受けて以降、着実に海防の準備を進め、佐渡沖に異国船出没が伝えられた嘉永年間には、海辺防衛を一層厳重なものにするために、越中国を含めた…
お城検索は→こちら aminosanhate111.hatenablog.com 関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、その翌年の慶長6年(1601)東海道を制し、弧状の船運を抑える目的で、現在の膳所城跡公園(膳所埼)に膳所城を築城させました。築城計画は藤堂景虎が担当し、それまで…
お城検索は→こちら aminosanhate111.hatenablog.com 元亀2年(1571)9月の山門(比叡山延暦寺)焼き討ち後、織田信長は明智光秀に滋賀郡支配を命じると共に、浜坂本(三津浜)に水城を築かせました。日本最古級の天守がそびえていた坂本城について、ポルトガ…
お城検索は→こちら aminosanhate111.hatenablog.com 元亀元年(1570年)織田信長は、京都と湖西路とのルートを確保するために新路(現在の山中越)を作り、森可成(森蘭丸の父)に湖西を監視するために宇佐山城を築城させた。同年、浅井・朝倉連合軍との戦い…
2021年10月10日 杉原観光ヤナ改め【鮎食べ処ヤナの家】で鮎を食べました。 テーブル席に変更になっています ヤナは完全に流されてしまいました before after完食 住所;〒509-4541 岐阜県飛騨市宮川町小豆沢5 地図;
お城検索は→こちら aminosanhate111.hatenablog.com 地元では「御屋敷」または「寺屋敷」と呼ばれている。また、同地が小字「阿弥陀山」に属すること、天台宗寺院の立地条件の特徴を備えていること、最上段の曲輪には寺院の堂塔の基壇を思わせる石積み状遺構…
お城検索は→こちら aminosanhate111.hatenablog.com ここに大溝城が構えられた理由には、水陸交通の要衝だったこの地を高島郡支配の拠点とする織田信長の琵琶湖の支配権掌握の目的があったと考えられる。大溝城の初代城主は信長の甥・織田信澄であるが、この…
お城検索は→こちら aminosanhate111.hatenablog.com 入山口を間違えるという痛恨のミスで1時間をロスしましたが、諦めずリトライしてなんとかたどり着くことができました。場所は宮崎城の記事に準じます。横尾城の記事は→こちら横尾城に向かう「中部北陸自然…
お城検索は→こちら aminosanhate111.hatenablog.com 越中・越後を結ぶ北陸道を迎えるように、北へ張り出す尾根の山は、12世紀ころに佐味庄の領主・佐味太郎が、神の鎮まる神体山として尊び、百山の峠を掘り割って道を通し、城を築いていました。北朝期(1331…
お城検索は→こちら aminosanhate111.hatenablog.com 舟見城址越中古城記に「舟見村古城ー東山にある。築城の年代は分からない。」とあり史実上の築城は定かはでない。宮崎城主太郎の嫡子「入善小太郎舟見城を構築す」の伝承ある事から、その時期は源平合戦(…