あみの3ブログ・夢のつづき

お城巡りの旅とラーメンなど、自由な写真日記

【米沢城】山形県米沢市 2025年10月4日

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米沢城は鎌倉時代に長井氏が築いたと伝わるが、南北朝時代には長井氏は伊達氏に追われた。伊達氏は天文17年(1548)に米沢に本拠を移し、後に伊達政宗もこの城で生まれたという。政宗天正19年(1591)に豊臣秀吉の命で岩出山城に移り、米沢城は蒲生氏の改修を経て、慶長3年(1598)に上杉氏の重臣直江兼続の城となった。兼続は関ヶ原後の慶長13年(1608)、近世城郭として大規模な拡張工事を行う。だが、戦後敗れた上杉氏は会津120万石から米沢30万石へ大減封され米沢に移った。その後、米沢城は上杉氏の居城として明治維新まで存続した。

 

城は米沢盆地の南、最上川西岸の松川扇状地の中央部に築かれた。本丸は約150m四方の方形の曲輪で、原型となった伊達氏の城館はここにあったと推定される。本丸を二の丸が、二の丸を三の丸が取り囲んでいく輪郭式縄張で、本丸には2基の御三階櫓、二の丸には4基の二重櫓などの建物が築かれていた。

 

場所は山形県米沢市丸の内

自分は車で行ったので、「松ヶ岬おまつり広場駐車場」を目標にしました。

ここからだと北側の入り口から堀を渡りって入園する形になります。

 

隣接して「松ヶ岬おまつり広場駐車場」もありますが、こちらは表参道「舞鶴橋」やお土産処「上杉城史苑」にも近くて賑わっています。

 

米沢城跡

現在は本丸跡に上杉神社が創建され、内堀と共に松ヶ岬公園として整備されています。

二の丸や三の丸は市街地となり、中堀も埋め立てられました。

ただ、二の丸の東半分は駐車場や博物館・文化ホールとして活用されています。また、南側には上杉伯爵邸が建ち、庭園には中堀の名残が見られます。

 

復元CG

※日本の名城No42より

イラスト右下が「北」を示します。

 

古絵図に加筆

※米沢城跡散策マップ、、、上杉博物館

イラストにあわせて「北」を下にしました。

 

上杉・米沢城は

天守はなく御三階櫓を代用とした土の城でした。

特徴的なのは本丸内に上杉謙信の霊廟を建立したことと、二の丸内に御堂の世話をする神社・寺院を多数招き入れたことです。


自分は北門より入りました。

内堀東面の太鼓門に架かる大橋舞鶴橋

明治19年(1886)本丸大手口に完成したアーチ式の石橋。名前の由来は米沢城の別名「舞鶴城」から。



 

内堀北東角

 

「北東隅御三階櫓跡」

本丸の北東隅と北西隅には天守代用の御三階櫓が建てられていた。明治期に入って廃城となると、城内の建物は全て取り壊されました。

古写真に写る北東隅御三階櫓

※古写真で見る幕末の城より

 

 

「福徳稲荷」

 

上杉神社宝物殿「稽照殿」

 

上杉神社本殿」

米沢城本丸跡には上杉謙信を祀った上杉神社が建つ。明治9年(1876)に本丸御殿跡に本殿が建てられました。

 

上杉鷹山公立像」背後は謙信御堂跡

上杉治憲(隠居後鷹山)は、高鍋江戸藩邸で生まれ上杉家の養子となる。

質素倹約や殖産興業などで藩政改革に尽力した9代藩主。教訓『為せば成る 為さねばならぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり』は有名。

養子に出る際幼い鷹山に対し高鍋藩の家老が、直江兼続の施策を手本とするよう諭したという逸話も残る。

 

上杉景勝直江兼続像」NHK大河『天地人』放送記念で建立)

直江兼続(右)は5歳の時から、5歳年上の上杉景勝(左)に仕え続けた。

 

上杉謙信公座像」

 

「米沢観光コンベンション協会観光案内所」

御城印はこちら

 

「旧御堂(上杉謙信祠堂)」

太鼓門を入ってすぐ南にあった廟所

現在は広場に招魂碑が建つ

同、「御堂跡石碑」

 

本丸跡地に建つ上杉神社の参道

大橋を渡り太鼓門から本丸に入ると正面に本丸御殿があった。

 

内堀東面

大橋から北東隅御三階櫓跡を見る

 

内堀南東隅から大橋(舞鶴橋)を見る

 

内堀南面

赤い欄干の菱門橋

「菱門橋」

本丸南側の櫓門(別名「秘シ門」)跡前に架けられた赤い欄干橋。

令和6年(2024)末に土台が崩落、現在は通行禁止となっており、復旧が待たれます。

 

内堀西面

 

 

旧二の丸南側

「上杉記念館 旧上杉伯爵邸門」

 

「旧上杉伯爵邸玄関前の上杉鷹山公胸像」

 

「旧上杉伯爵邸本館」

明治29年(1896)、最後の藩主でもあった上杉茂憲侯爵の本邸として、二の丸の寺院群跡に建てられた。現在の建物は大正14年(1925)の再建で、設計は米沢出身の建築家・中条精一郎。国の登録文化財

 

旧法音寺跡に建てられた

「座の文化伝承館」

 

中堀の一部、旧南門の辺りと思われます。

中之島は伯爵邸庭園の方向

 

旧二の丸御殿跡に建つ

「松岬神社」

明治35年(1902)上杉鷹山を祭神として二の丸跡に創建。上杉鷹山・景勝、直江、鷹山の師細井平洲、鷹山功臣二名、の6柱をを祀る

松岬神社で参拝する剣士は

刀剣乱舞 三日月宗近さまではありませんか

気軽に写真撮影に応じてくれました

 

 

旧二の丸御殿から城代役家跡

「松岬第2公園」

こちらにも鷹山公座像が

 

二の丸南御殿跡・堀跡

「伝国の杜」市立上杉博物館&置賜文化ホール

平成13年(2001)建設。国宝を含む上杉氏ゆかりの品を展示。

 

 

 

 

 

 

米沢市前田慶次マスコットキャラクター「けーじろー」

米沢市直江兼続マスコットキャラクター「かねたん」

 

上杉景勝豊臣秀吉の命で越後から会津に国替えとなり、家臣の直江兼続は米沢城を居城にしました。

関ヶ原の戦いで西軍が敗れ、上杉氏は会津120万石から米沢30万石に減封となり、兼続の居城米沢城に引っ越してきたのです。

 

前田慶次(傾奇者・前田慶次)は直江兼続と出会って意気投合し、上杉家に仕えるようになりました。長谷堂城合戦」での勇猛な戦いぶりが伝わっています。


伊達政宗生誕の地

伊達氏は米沢城を43年間本拠地とし、政宗は米沢城で生まれました。しかし、豊臣秀吉の「奥羽仕置」により岩出山に移され、その後仙台藩の基盤を築きました。

 

五武将スタンプラリー

前田慶次しか押せませんでした(;_;)



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【御城印】

米沢観光コンベンション協会観光案内所にて取り扱い

 

【米沢城】
直江兼続が改修した上杉氏の居城》

名称(別名);よねざわじょう(舞鶴城、松ヶ岬城)
所在地;〒992-0052 山形県米沢市丸の内1丁目4-13
城地種類;平城
築城年代;歴仁元年(1238)?
築城者;長井時広?
主な城主;伊達氏、蒲生氏、上杉氏
文化財区分;
近年の主な復元等;(上杉神社
天守の現状、形態;
地図;